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仙台高等裁判所 昭和31年(う)629号 判決

控訴人 被告人 小川留八

弁護人 片岡政雄

検察官 吉安茂雄

主文

原判決中有罪部分を破棄する。

被告人を罰金二千円に処する。

但し本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

右罰金を完納することができないときは金二百円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用中証人大木久雄、同門脇百男に各支給した分を除きその余及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人片岡政雄の陳述した控訴趣意は記録に編綴の同弁護人名義の控訴趣意書の記載と同じであるからこれを引用する。

同控訴趣意中第一点の(一)について。

新聞記者の取材した記事を新聞紙上に掲載するか否か、いかなる形態で掲載するかの取捨選択は専ら編集人の権限に属しその良識と責任においてすべきものであることはまことに所論のとおりであるけれども、積極的であれ、消極的であれ、新聞記者に対し、他人の名誉を毀損する談話をし、その結果、記者をして該談話を本社に送付させ、編集人、発行人をして、これを新聞紙上に掲載発行せしめ以て右記者の記事送付の行為と編集人発行人の該記事を新聞紙上に掲載発行する行為との共同行為により他人の名誉を毀損するに至らしめたときは、右談話とその新聞紙上への掲載発行との間には具体的に因果関係があることは明白であるから、記者に記事を提供した話者は、右名誉毀損の共同行為に対する幇助者又は教唆者としての責を免れ得ないことは勿論であつて、所論のように、編集人に記事選択の専権があるからといつて、記者に対する記事提供の行為とその新聞紙への掲載発行の行為との間に因果関係がないとはいいえない。

原判文に徴するにその措辞妥当を欠く嫌があるが、これを挙示の証拠と対照するとき、原判決の認定した事実は、要するに、被告人は新聞記事を取材する目的で被告人に面接した新聞記者島幸から質問されるや、同人が新聞紙上に掲載する記事を取材することを知りながら、同人の質問に応じ樋口明の名誉を毀損する判示談話をし、因つて同記者をして右談話を新聞紙上に掲載する意思を決定せしめ、その結果、同人が右談話を本社に送付し、編集人、発行人等が該談話を新聞紙上に掲載、発行するに至つたという樋口明の名誉を毀損する島等の共同行為に対する教唆の事実を判示した趣旨と解せられる(原判決が被告人の右所為を正犯として処断しているのは単に法律の適用を誤つたにすぎない。)のであるから、原判決には所論のような理由不備等の違法は存しない。論旨は理由がない。

同第一点の(二)について。

新聞紙の如き公刊の文書により他人の名誉を毀損する罪は名誉を毀損する記事を新聞紙上に掲載発行し、これを購読者その他公衆の閲覧し得べき状態におくことにより成立するものと解すべきであるから原判決が樋口明の名誉を毀損するに足る判示記事を掲載した新聞紙を発行しこれを福島県相馬市内その他多数の購読者に配布せしめた旨判示してある以上、所論のように購読者の氏名その人員等の事実を説示しなくとも右名誉毀損の事実摘示として欠くるところはなく、原判決には所論のような理由不備の違法はない。論旨は理由がない。

同第三点の(一)及び第二点の(一)について。

しかし原判決挙示の原審証人島幸の供述記載並びに証第四号の存在及び記載によれば、被告人は新聞に掲載する記事を取材するため被告人を訪ねてきた河北新報社通信記者島幸の質問に応じ、樋口明に関し、判示新聞紙上に被告人の談話として掲載された談話をし、島はその際これを書き留めていたものであり、(なお談話の内容が右認定のとおりであることは被告人も検察官に対する供述調書において認めている。)被告人の原審供述記載によれば被告人は島が河北新報社の記者であることは同人が乗つてきた自転車に同社の印があつたので判明したというのであり、以上の各事実に徴すれば、被告人は島が新聞紙上に掲載する記事を取材するものであることを容易く察知し、従つて自己の談話が新聞紙上に掲載されることを知つていたものと認めるのが相当であり、このことは被告人が島の取材後同人の要求を容れて写真をとらせていることしかもその後、島から右談話を新聞紙に掲載するがよいかと念を押され「よいです」とこれが承諾を与えていることに徴するも明白といわなければならない。(島の右供述記載)被告人の「よいです」との右応答が所論のように単に一片の儀礼的なもので真意に出たものでないとは認め難いし、又、なるほど被告人が承諾の返事をしたのは、島記者の取材終了後であることは所論のとおりであるが、被告人は島の取材に当り自己の談話が新聞紙上に掲載されることを了承していたればこそ右の如く取材終了後島から掲載するといわれて明白に承諾の応答をしたものと認むべきで、所論のように、被告人は談話の際にはこれが新聞紙上に掲載されることを了承せず取材後にはじめてこれを承諾したというが如きものとは認め難い。(被告人も検察官に自己の談話が新聞紙上に掲載されることを知つていたと述べている。)それで原判決が被告人は島記者に対し樋口の名誉を毀損する前示談話をした際これが新聞紙上に掲載されることを知つていたと認めた点には何等誤認はなく、被告人にかかる認識がなかつたとの理由で被告人に故意のなかつたことを主張する論旨は理由がない。しかしながら、当審証人島幸の供述並びに同証人及び被告人の原審における各供述記載、証第三、第四号の各存在と記載によれば、島記者は被告人に面接して被告人から前示談話を取材するに先ち、被告人がさきに福島電気鉄道株式会社中村営業所主任樋口明を相手として福島地方法務局相馬支局に提訴した、樋口から被告人がバス運転者として料金を横領したとの嫌疑でその意に反し強制的に身体を検査されたという事実並びに被告人が樋口によつて印鑑を盗用され被告人名義の退職願書を偽造されたという事実を探知しており当日島記者は直接被告人に面接して右事実に関する被告人の談話を得てこれを新聞紙上に掲載するため、被告人を訪ね右事実の有無を質したところ島の右意図を察知した被告人から右事実に関する前示談話を得たので、これを取材して本社に送付した結果被告人の談話を掲載する判示新聞紙が発行されるに至つたことが充分認められるのである。右事実関係によれば島記者には、すでに被告人から右談話を取材する際、自己の探知していた右樋口の名誉を毀損する事実に応当する事実を新聞紙上に掲載発行する意思すなわち、名誉毀損の故意があり唯、その実行が被告人の右事実に関する談話を得ることにかかつていたにすぎず、島は被告人の右談話により、はじめて右事実を新聞紙上に掲載発行する名誉毀損の故意を生じたものではないと認むべくかかる故意をもつ島に対し情を知りながら樋口の名誉を毀損する談話をし、これを新聞紙上に掲載発行せしめた被告人の所為は島等の名誉毀損罪に対する教唆犯ではなく幇助犯を構成するものといわなければならない。それ故、被告人に対し右の罪の教唆犯を認め且つ正犯の法条を以て問擬した原判決には事実の認定並びに法令の適用を誤つた違法がありこれらの違法は判決に影響すること明らかであるから原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

同第三点の(二)(期待不可能の主張)について。

しかし、被告人が島記者の質問に対し、した判示新聞紙上に被告人の談話として掲載された樋口の名誉を毀損する応答がその際の状況上、かかる応答に出ないことを被告人に期待することが通常人の立場から見て不可能と認められる事情は記録上毫もこれを窺うことができない。このことは、右応答の際の状況に関する前段の説明に徴しても明白である。論旨は理由がない。(なお談話内容が樋口の名誉を毀損することを知つていたことは明白である。)

同第三の(三)(摘示事実の真実性につき証明があつたとの主張)について。

被告人が島記者をして摘示せしめた判示新聞紙に掲載の事実が公共の利害に関し且つ摘示の目的が専ら公益を図るに在つたと認められることは所論のとおりであるところ、事実の真実性が証明されたといい得るには、摘示事実中重要なる部分の真実性が立証されるをもつて足りると解すべきであるから、判示摘示事実自体に徴し樋口明が(一)被告人の意に反し強制的に身体検査をしたこと(二)被告人名義の退職願書を偽造したことが証明されれば足りる。

そこでまづ(一)の身体検査の点について検討する。

原審及び当審証人樋口明の各供述、原審証人荒朋子、同丹治令子の各供述、被告人の原審及び当審における各供述によると、判示福島電気鉄道株式会社の中村営業所主任である樋口明は、同会社の乗務員は会社所定の手続を践まなければ勤務中、私有金を所持してはならないことになつているのに拘らず、同営業所所属の被告人が勤務中右会社の禁則に背き、度々金銭を所持している旨聞知していたので、被告人に不正行為ありとの嫌疑を抱き直接の監督者として従来もかかる場合行つてきた所持品の提示を求める方法による検査を行うため昭和二九年一一月一〇日頃の午後七時頃、用務を告げて右営業所の乗務員控室に被告人を呼び入れた上、同営業所の運転者である清野武雄、門間一夫、及び安藤敏雄の三名を立会させて被告人の所持品を検査した際、被告人のはいていた靴の敷皮の下から一〇円紙幣二枚を発見したことが認められる。その際の所持品検査の状況につき、被告人は警察の取調において樋口から横領の嫌疑を受け着用の上衣、ズボン、靴下等を脱いで渡せと命ぜられたのでこれらを脱いで渡すと樋口はこれらを調べまた首長シヤツを捲くつても調べた自分はズボン下を着していないのでシヤツとパンツ一つにされた旨供述し検察官の取調及び原審においてもほぼ同様の供述をしているのである。もしかかる方法、程度の所持品検査が行われたとしたら、表面上は、被告人の承諾に基くものとはいえ、人事権を握る監督者がその地位を濫用し、犯罪の嫌疑を受けて窮境に立つ従業員の意思に反し検査を強制したものと認むべく、不法に人身の自由を侵したこととなるものというべきである。

しかし、他面樋口は原審において証人として被告人に所持証明のない金をどうして所持しているかと尋ねたところ被告人は当初黙していたが次第に興奮し「どんな金か判らない会社の金はとつていない金など身につけていないから何処でも見てもらいたい」と言つて上衣を脱ぎズボンのバンドをはずして裸になろうとしたので自分は興奮するなと言い止めたがズボンを脱いだがシヤツは着ていた。ズボン下を着していたかどうか記憶ない。脱いだ上衣のポケツトを調べた。旨供述しており右検査に立会した前記三名の者も原審証人として検査の状況につきほぼ樋口の供述に符合する証言をしているのである。右供述によれば樋口が右のような検査をしたのは被告人が身の潔白を証せんと自ら進んで脱衣し着衣につき検査を申出たためであつて、樋口が監督権を濫用し被告人の意に反し検査を強制したということにはならない。

次に(二)退職願書の偽造の点につき考察する。

被告人は警察の取調において、「樋口に辞職を勧告され……書式をきくと勧告により退社する旨のものを示されたので一身上の都合により退職する旨の書式にしてほしいと願うも駄目と言われたので半紙半切に毛筆で書いて持参し会社においた印鑑を押捺して提出した、その後四、五日して樋口が来てくれと言つていると伝言があつたので……行くと樋口は一身上の都合による退職としてくれといつていたから半紙を買つて出しておいたということであつた」旨述べており検察官に対しても原審においても同趣旨の供述をしているのである。しかし、他面、樋口は原審証人として「被告人が墨書の退職願書を作成してきたが半紙半切のもので不体裁なので書き直すように言い、田中トシ子に半紙を買い来させ被告人に与えると被告人は毛筆では書けぬから書いてくれと言うので代書してやつた、その際被告人に話して一身上の都合による退職願書とした、被告人は事務室の従業員が印鑑をおいておくところから印鑑をもつてきて押捺した」旨供述しており、原審証人田中利子は被告人が樋口に退職願書を書直すよう言われ自分が半紙を買つてくると「書けぬから書いてくれ」と言つていた旨供述し、原審証人佐藤喜久雄同佐藤テルの両名も右樋口の供述に副う供述をしているのである。

なるほど樋口明の供述を裏付ける証言をしている本件の証人中には現に樋口に使用されその支配下に在る者が存することは所論のとおりであるが、それだけの事由で同証人等が故ら樋口に言を合わせ全々虚構を述べているものとは認め難く右の証人中にはすでに会社を辞め樋口の支配下に立たぬ者もあるのである。

所論原審証人高玉光男、同標葉縁、同安藤敏雄の各証言部分を以てしても、所論のように樋口明が部下従業員をして自己の証言に副う虚偽の供述をするよう勧誘した事実を認めることは到底不可能である。(なお水沢慶子の検察官に対する供述調書は存しない。)その他樋口の供述に符合する証人等が不実を述べていることを疑うべき事情は存しない。

以上の次第で前記被告人の供述と前示樋口明の証言及びこれを支持する各証言とを対比検討するときは被告人の供述のみが本件に関する重要な部分に関し、全面的に措信するに足るとし、樋口等の供述を虚偽として排斥し去るに足らず、結局摘示事実の真実性につき証明がなかつたことに帰し当審における事実取調の結果によるも結論に影響はない。

それ故原判決には所論のような採証法則違反並びに判決に影響する事実誤認はなく、論旨は理由がない。

なお、所論は本件に関する検察官の捜査の不公正を論難しているが、このことのために本件犯罪の成否に影響するところは毫も存しない。

同第二点の(二)(原判決は言論の自由を侵害した違憲の判決であるとの主張)について

言論の自由は憲法の保障するところであり、それが公共の福祉に対し「明白且つ現在の危険」を招来した場合を除き、みだりにこれを制限するが如きことは絶対に許されないことは所論のとおりであるが、その保障さるべき言論は真に社会公共の利益を増進するに足るものでなければならず、単に他人の名誉を毀損するにすぎぬ言論の如きは一般に、公共の福祉に有害でこそあれ何等の益のないもので、憲法上保障さるべき言論というに当らない。刑法第二三〇条が事実の有無を問わず他人の名誉を毀損する行為を処罰するはもとより適憲である。唯、人の社会的評価(名誉)には真にその人に価するものと、しからざるものとありその真にその人に価しない虚名を暴露する言論が、かえつて公共の福祉に合致する場合においてはその言論は憲法上尊重されなければならない。これ刑法第二三〇条の二が一定の条件の下に摘示事実の証明があつた場合、名誉毀損罪の成立を否定する所以である。原判決が島記者に問われて樋口の名誉を毀損する談話をしこれを新聞紙上に掲載発行せしめた被告人に対し、摘示事実の真実性につき立証がない場合において、名誉毀損罪の教唆犯の成立を認め有罪を言渡したことに憲法第二一条の解釈を誤つた違憲のかどはなく被告人の右応答が「明白且つ現在の危険」を招来していないから名誉毀損罪として処罰するは違憲であるとの論旨は理由がない。

以上のとおりで、原判決には判決に影響を及ぼす事実誤認並びに法令の適用の誤が存するので原判決は破棄を免れない。

よつて刑訴法第三九七条一項第三八二条第三八〇条により原判決中有罪部分を破棄し同法第四〇〇条但書により当裁判所において改めて次のとおり判決する。

罪となるべき事実。

被告人は昭和二九年五月一〇日頃福島電気鉄道株式会社に自動車運転者として雇われ、同会社中村営業所所属の乗合自動車の運転をしており同年一一月下旬退職した者であるが、右会社に在職当時同営業所主任樋口明から、自動車運転中料金を横領したとの嫌疑で意に反して強制的に身体を検査され、又同会社を退職するに際し被告人名義の退職願書を偽造された旨主張している事実を探知していた河北新報社相馬通信部の記者島幸が昭和三〇年七月二九日頃被告人に直接面接し右事実に関する談話を得た上、新聞紙上に掲載発行する目的で、当時の被告人の勤務先である福島県相馬市中村字上野武林呉服店の自動車車庫に被告人を訪ね被告人に右事実の真偽を尋ねたところ、被告人は島記者の意図を察知しながら島の問に答えて樋口明に関し、″まつたく寝耳に水でバス代横領とは心外だ。それにこの野郎ふざけるななどの暴言を吐き身体検査をされ、それに無実の罪を着せられ退職願も書かないのにこれを本社に提出したことは当然私文書偽造であり断固斗う″旨樋口の名誉を毀損するに足る談話をした結果島をして右談話を本社に送付せしめ因つて同年七月三〇日発行の河北新報紙上に「中村営業所人権問題」等の表題で記載した記事の一部に樋口明に関し「解雇された小川さんの話」として前記談話内容を掲載したものを発行しこれをその頃福島県相馬市内その他の多数の購読者に配布せしめ以て島等の新聞紙発行による名誉毀損の行為を容易ならしめて幇助したものである。

証拠の標目。

当裁判所が右事実を認定した証拠の標目は左記の証拠を附加する外、原判決挙示の証拠(但し証第四号の存在とあるのを存在及び記載と訂正する。)と同じであるからこれを引用する。

一、証人島幸の当公廷における供述

二、原審公判調書中被告人の退職願書作成に関する供述記載部分

三、昭和三〇年七月二七日附読売新聞の切抜(証第三号)の存在及び記載

法令の適用。

被告人の行為は刑法第二三〇条一項第六二条一項に該当するので所定刑中罰金刑を選択し従犯であるから同法第六三条第六八条四号により法定の減軽をした金額の範囲内において被告人を罰金二、〇〇〇円に処し情状刑の執行を猶予するのを相当と認めるので同法第二五条一項により本裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予し、罰金不完納の場合の労役場留置日数につき同法第一八条を訴訟費用の負担につき刑訴法第一八一条一項本文を各適用する。

弁護人の刑法第二三〇条の二に規定する摘示事実の真実性の主張及び期待不可能性の主張のいづれも理由がないことは前段説示のとおりであるからいづれもこれを排斥する。

よって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 籠倉正治 裁判官 細野幸雄 裁判官 岡本二郎)

弁護人片岡政雄の控訴趣意

第一点、原判決は、判決に理由を附せず、又は理由にくいちがいある点について。(刑訴第三七八条第四号該当)

(一) 原判決は、(罪となる事実)摘示中「被告人は、…………昭和三十年七月二十九日頃、福島県相馬市中村字上野武林呉服店の自動車車庫において、新聞記事取材の目的を以て被告人を探し求めて来訪した河北新報相馬通信部の記者島幸より質問されるや同人が河北新報社の記者であり、且つ同新聞紙に掲載する記事を取材するものであることの情を知りながら、右島幸の質問に応じて、その材料を提供した結果、同人が手記した原稿に基き、昭和三十年七月三十日発行の河北新報紙上に「……………」と掲載されたものを発行し、これをその頃福島県相馬市内その他多数の購読者に配布せしめ、以て公然事実を摘示して樋口明の名誉を毀損したものである。」と判示している。即ちこれを要約すれば河北新報記者島幸の質問に被告人が応じて答えたため、島記者が原稿を作り新聞紙上に掲載され読者に配布され、樋口明の名誉を毀損したというにあること明かである。しかし右判示では、島幸を経て記事となり公然事実摘示をしたのは何人か不明である。

そもそも名誉毀損罪は言うまでもなく犯意を必要として過失を罰しないものであるから、講学上いわゆる犯意に関する相当因果関係を必要とすること論を俟たないところである。新聞の編輯、発行人に非ざる被告人が新聞紙に印刷された記事により、その責任を負はされることは稀有の事象で、被告人が新聞紙に広告等の掲載方を依頼しその広告の文字により他人の名誉を毀損するか、或いはある特定の投書をなし又は特に特定の原稿の掲載方を依頼する等の方法を被告人が工作するか、ないしは編輯、発行人と共謀等の方法によらない限り、いわゆる公器である新聞紙の紙面を使つて他人の名誉を毀損することは、法律上、物理上不可能である。世間にいわゆる三文新聞と称せられる特種な悪徳新聞の如き、(今日では殆んど左様な新聞は存在しない)は別とし、河北新報紙は仙台市に本社を有し、東北六県に跨り多数の読者を有し最有力の新聞であることは東北地方では顕著な事実であり、その編輯、発行の責任者は勿論記者諸君と雖も新聞人として良識を有する人々であることはこれ亦贅言を要しないところである。従つて同紙が自ら取材し、同紙に掲載される記事は同新聞社の編輯、発行者の良識と責任において、全部なされるものであつて、一市井人に過ぎない被告人の何等関与し得る余地なく、全く関知しないことと言うべきは実験法則上疑問のないところである。(原審証人島幸、白崎禎助の証言参照)又このことは河北新報社に限らず、読売新聞社等の他社でも同様である。(原審証人大木久男、門脇百男の供述参照)

更に取材した記事を掲載するか否か、掲載方法、内容その他はこれ亦新聞社の整理部その他で独自の判断で行はれることも同様である。(前記各証言参照)

本件記事なるものは判示の如く右島記者の取材活動により、河北新報社の独自の判断と責任において、その形式、内容を掲載したものであり、被告人は島記者の質問に消極的に応答したのみであつて該記事と被告人の答えとの間には事実上は勿論法律上相当因果関係は存在せず無関係であること明かであつて、右記事が樋口明の名誉を毀損したとすれば、その実行行為者は右新聞の編輯、発行者であることは一目瞭然で被告人に対し刑責を問うは失当の甚しきものである。この点は原審において当弁護人から検査官に、その捜査並びに起訴方針の不当違法を追究した通りである。弁護人の釈明に対し第一回公判において、検察官は「被告人が島記者又は河北新報社と共謀、教唆等の共犯関係はない」と釈明しているのである。(原審第一回公判調書記載参照)

最終公判の意見陳述において検察官は被告人は「間接正犯」であると一言陳述したのみでそれ以上の具体的な釈明はなし得なかつたのである。本件を間接正犯の理で説明することは不可能であると信ずる。又原判決の判旨理由では如何なる手段方法で被告人が犯罪行為を実行したかに付、全然記載を欠き、判示自体では全く不明で具体的に名誉毀損行為者は何人なるか判明しない。

結局原判決の理由に従えば、被告人の行為と新聞紙の記事との因果関係は、江戸時代の古諺である「大風が吹けば桶屋が儲かる」との筆法で条理を逸脱すること甚しきものである。即ち「大風が吹けば砂埃りのため盲ができる。盲が多くなれば三味線引がふえる。従つて三味線の胴に使用の猫の皮が多く必要となる。猫が捕られると鼠がふえる。鼠がふえると桶を喰い破りその為桶屋が儲かる。」という程度の論法に過ぎない杜撰な因果関係論を前提とする判断であつて、到底首肯するに足らないものであり、判決に理由を附せず又は理由にくいちがいあるもので破毀を免かれないものと信ずる。

(二) 原判決は(罪となる事実)摘示の末段において「…………と掲載されたものを発行し、これをその頃福島県相馬市内その他多数の購読者に配布せしめ、以て公然事実を摘示して樋口明の名誉を毀損したものである」と判示し、これを公然事実を摘示したものと判断しているが、「福島県相馬市内その他多数の購読者」では如何なる不特定多数の者に配布したか全然不明であつて、氏名は勿論その他多数の購読者との説示では、その人数等も全然不明で名誉毀損罪の構成要件である「公然事実を摘示」を欠如するもので理由不備である。証拠説明引用の証第四号の記載によれば、右新聞紙は河北新報福島版の記事であるから相馬市内に配付されたことは想像し得るが、具体的に如何なる氏名の人に配付されたか若しくは何某以外にどれ位の部数が発行配付されたかの判示なくしては、判決理由として不備である。本件証拠によるも検察官はこの点につき何等の立証もせず、従つて裁判官においても証拠調なかりし為めこの点について何等の証拠も存在しないこと本件記録及び証拠物で明かである。この為勢いかかる判示理由となつたものと想像されるが、右は判決に理由を附せざるもので当然原判決は破棄を免かれないものである。

第二点、原判決は法令の適用に誤があつて、その誤が判決に影響を及ぼすこと明かである点について。(刑訴第三八〇条該当)

(一) 原判決は(弁護人の主張に対する判断)第三の判旨において、「本件は被告人に犯意なく且つ実行行為なきものであるから無罪である」との弁護人の主張に対し、被告人は島幸が新聞記者でありそのことを承知の上、同人の要求を容れ写真までとらせ、最後に同人は被告人の談話を新聞に掲載するが宜しいかと念を押されて「宜いです」と承諾を与えているのであるから質問を受けて話した談話を新聞紙上に掲載されることを知つていたと断定し、右認識ありたる以上樋口明の名誉を傷ける目的意図又は期待をもつて被告人より進んで積極的に新聞記者に談話を発表して、その掲載方を慫慂する必要なく被告人に犯意のあつたものと認めると判示し、大審院判決及び安平博士の所論を引用している。

右認定の被告人の事後承諾の有無法的効果等については後段(第三点(一))改めてこれを詳論するが、右引用の判決及び所論は本件とはその事実関係大いに異りこれを判示の理論に応用することは見当違いで到底許されないところである。即ち、(1) 、引用の大正六年七月三日大審院判決の要旨は、その事案の内容が「被告人が大平某の葬儀に際し弔詞を朗読し、よつて大堀某の名誉を毀損した」との事実関係に立ち、上告論旨が「その弔詞は大堀某の名誉を害することを知り朗読を必要とするにかかわらず、被告人は死者の霊に告ぐるの意思を以て朗読したものであるから名誉毀損の目的に非ず」と主張したのに対し、判旨は「名誉毀損罪の成立には名誉毀損行為が、人の名誉を毀損する認識に出ずるを以て足り、必ずしも更に人の名誉を毀損する目的に出でたるものなることは必要としない」と説示するものであり、(2) 、右安平博士の所論は右判旨を引用し、「本罪の成立には自己の行為が他人の名誉を毀損することの認識意思に出でたことを必要とする。しかし人の名誉を毀損する目的に出でたことは必要でない」との趣旨である。(3) 、即ち右判旨事案は、被告人自身が葬儀の席上多数の面前で弔詞を読み、その弔詞の内容自体が人の名誉を毀損したのであり、かかることは被告人において認識していたのだから名誉毀損の目的は必要としない旨を説示したもので安平博士の所論亦然りである。該事件は被告人自ら直接名誉毀損行為を遂行したものであり、本件とは実行方法全く異りおり、本件においては被告人自らは名誉毀損行為は実行せず、その実行者は河北新報社の職員であるから、前者と後者は全然相違した事案で到底前者に対する判例及び所論を以て本件に通用することは誤断の甚しきものである。況んや本件は原判決も肯認するとおり島記者対被告人という一人対一人の関係において、被告人が福島地方法務局相馬支局に対し人権侵害の救済申立をなしたことに関し質問に対する返答という手段方法で応答されていたもので、島記者が被告人に対し、右救済申立をなしたかどうかの事実に対し答えたところの応答を談話の形式で新聞紙上に掲載されたものなることは、原審証人島幸、白崎禎助及び被告本人の供述を総合すれば明白な事実である。従つて被告人自身毫末も樋口明の名誉を毀損する認識なかりしこと明瞭である。

しかるに原判決が名誉毀損罪における認識乃至犯意に関する法律上の判断を誤り、被告人において該質問に応答したる以上、該認識即犯意ありたるものと即断し、有罪の判決をなしたことは法令の適用を誤つた違法がある。

(二) 原判決は日本国憲法により国民に対し保障された基本的人権たる言論の自由を侵犯した違憲の判決である。

憲法第二一条第一項は言論の自由を保障し、濫りにこれを抑圧することを禁止しているが、ただこの自由の濫用に対しては現実に危険を生じた場合に、これに刑罰を科することは違憲でないとされるので、この理由により名誉毀損罪の規定が適憲であるとされるのは、他の個人の基本的人権を現実に侵害する行為について、その範囲でこれに刑罰を定めた規定であるが故である。アメリカ連邦憲法修正第一条の解釈について示されたアメリカ連邦最高裁判所の全員一致の意見(ホームズ判事によつて表明されたもの)が参考となるであらう。すなわち曰く「それぞれの場合における問題は、(そこでの言論の中で)用いられた言葉が、明白で、現在の危険をつくり出すようなそういう状況の下で、またそういう性質のものとして用いられ、国会がそれを防止する権利をもつような実質的な害悪をもたらすかどうかということにある。」と。本件事案は、原判決が証拠説明引用の被告人の検察官に対する昭和三十年十二月十日の第二回供述調書中、「私は本年七月二十三日福島地方法務局相馬支局に出頭して、口頭で福島電鉄中村営業所主任樋口明より人権を蹂躪されたことを申告し」たので、これを探知した島記者が取材のため被告人を訪問し、その事実の有無等につき質問し、取材の上これを河北新報社に送り新聞記事となしたこと証拠上明かである。しかうして法律により地方法務局支局は人権侵犯事件につき申告を受理し、或いは職権を以てこれを審査し、又人権擁護委員法の規定と相俟ち人権擁護委員と協力し国民に保障されている基本的人件の擁護に任ずるものであつて、右被告人が樋口明より不法なる身体検査等を強制された点につき右支局え人権侵犯ありたりとして、これが救済方を口頭で申告したもので右申告をなすは独り被告人に止らず国民の当然の権利行使であつて毫末も非違なきところである。又島記者がその職業柄かかる事項につき取材活動することは当然で、その質問に答え、被告人がこれに応答することは何等差支えなきものであり、右応答自体においては、前記いわゆる「明白且つ現在の危険」なるものは存在しないこと亦明かである。問題は右応答の内容を新聞紙に掲載するに至り、右島記者を初め河北新報社の編輯、発行の責任者がその良識を以て処理すれば足り、万一これが掲載により他人の名誉を侵害する虞れありと判断すればこれをしなければよいのであり、被告人にその責を問う何物もないのである。しかるに原判決は論理を飛躍し、新聞掲載につき何等の権限なきは勿論如何なる表現を以て発表せらるるや全然無知なりし被告人に対し、その刑責ありと断定したことは言論の自由を無視した違憲の判決といわなければならない。仮に不幸にして右違憲判決が承認せられんか、国民一般は新聞記者に対しては、一切の質問を回避し、いわゆる「ノーコメント」を以て対抗し、自己の保身を図り、その災厄を免かるるの外に道なきに至り、為に取材活動は自ら制限せられこの為新聞、放送等のニユースは真実を離れ、延いては誤報乃至虚偽の報道が充満することとなり吾人の社会生活は破壊されニユースの暗黒時代を現出するに至ることは火を睹るより明かである。果して然らば健全なる民主主義の基礎たるべき言論の自由は喪失し、憲法の保障する言論の自由は一片の空文と化するの状態となるであらう。右事実に鑑みれば、新聞記者の自発的取材活動により新聞社が独自の判断と良識のもとに掲載した記事に対し、全くの第三者である被告人に対し刑責を問う如きは筋違いも甚しく、違憲の判決であつて原判決は当然破棄される運命にあるものと確信する。

第三点、事実の誤認があつて、その誤認が判決に影響を及ぼすこと明かである点について。(刑訴第三八二条)

(一) 原判決が被告人において、名誉毀損の犯意(認識)ありとしたことの事実誤認について。

前記第二点(一)について述べたとおり、原判決は被告人が島幸より質問された際、島が新聞記者であることを知り同人が被告人の談話を一々書き留め、且つ写真までとられ、更に最後に被告人の談話を新聞に掲載するが宜しいかと念を押されて「宜しいです」と承諾を与えて居るのであるから右記事の掲載方を充分知つていたこと明かで犯意ありたるものと認定している。しかし、被告人は原審公廷において、右点については「全く寝耳に水だバス代横領とは心外だ」とは言つたことない旨を供述し、右部分の公訴事実は否認し、「島記者とは初めて知つたもので自転車に河北新報と書いてあつたので同人が新聞記者ということが判つたが、自分の話したことを新聞に書くことを頼んだことも、同人に相談したこともなく、その話が新聞に出されるとは思つて居らず、同人が新聞に出すといつたことを聞いた記憶なく、新聞に出ると思つて居なかつたので、新聞を買つて見たこともない」旨供述し、原審証人島幸は、「私としては小川さんから話を聞いてそれを新聞に掲載するつもりで同人を探し同人から話をきいたのであります。然し同人に対し同人のした話を新聞に掲載するから承諾してくれと言つて居りません。私は小川さんから話をきいた後、この事は新聞に掲載するからと云つたら同人は「よいです」と言いました」旨並びに「話をきいてから後に写真を撮影したが、この記事は小川さんには責任なく、聞いた話を自己の責任においてニユースとして独自の見解で記事として新聞に掲載したのであるから小川さんには全然責任ありません」旨を各供述している。原判示の被告人の承諾云々の点については、仮りにかかる取材後島記者が新聞に掲載するからと云つたとき、同人が「よいです」と答えた(被告人はこの点否認)という事実があつたとしても、右は一片の儀礼的返事であり且つ既に取材後の行為であつて、これにより名誉毀損の認識ありたるものとは云い難く、これを有罪の証拠となし得ないものである。(この点については当弁護人の原審弁論要旨第(二)の(3) (イ)(同要旨十五枚目裏)に詳論せるにつき御参照)然るに原判決はその「よいです」という片言隻語をとらえ犯意ありと認定したことは、事実誤認の甚しきものでこれ亦破棄されるべき場合に該当するものと思料する。

(二) 原判決が事実を誤認し被告人の期待可能性なき点を看過したことについて。

被告人は原審公廷で述ぶる如く高等小学二年卒業後主として自動車運転手として生活せる者で一介の労働者に過ぎない境遇に終始し、新聞の記事取材より編輯、発行、配付に至る知識は皆無であり自己に関する新聞記事は本件を以て塙矢とする者であり、如何なる過程を経て新聞記事が作られるかも全然無知であつたこと記録上明白である。従つて島記者の質問に対する応答に際しても格別の注意を払わず、問はるる侭に答えたに過ぎないこと証拠上明かであり、平素新聞記者との交友関係等なく、又新聞記者と談話することの機会すら無かりし者で、右応答が記事として掲載さるる如きは勿論予期したものでもなかつたのであり、常時又は屡々記者と接触を有する人とは異つた境遇に生活したものである。従つて如何なる言語の表現を以て応答するかは無知であり、かりに島記者が証言するところが真実なりとしても、被告人自身においてこれを適当に表現し、いわゆる談話等の方式によつて発表せしめさるようの措置を執ることを知らなかつたこと疑いなく、且つ注意深き表現を以て応答し未然に他人の名誉を毀損する如き返答をなすべき注意を欠いたもので、右は単純なる過失であるのみならず被告人の地位、経歴、教養の程度、並に突然に車庫に現れ質問した島記者の態度等のため、その慎重を欠いたこと等の諸般の事情を総合すれば、被告人において講学上いわゆる期待可能性なきものであつたことを首肯するに充分であるといわなければならない。これによつてみれば、かかる重要なる事実を看過し、右質問に応答したのみの被告人に対し刑責を負担せしめた原判決は期待可能性に関する事実を誤認した違法あるもので破棄を免がれないものである。

(三) 免責事由(刑法第二三〇条の二)に関する事実誤認について。

原判決は(弁護人の主張に対する判断)第二の判示において、弁護人の本件における被告人の判示所為は、公共の利害に関する事実に係り、その目的専ら公益を図るに出てたものであり、且つ真実に符合するものであるから、これを処罰することは許されない旨の主張を排斥し、その理由として、「しかし前掲各証拠……(中略)……被告人がその名下に押印して提出したものである事実が認められる。」(判決書五枚目裏八行目以下)と認定し、引続き一方において「そうして樋口明が自分の監督下にある者だけ三人を立合わせて、被告人の所持品を検査したり、その結果被告人の靴の中から発見した十円札二枚を、被告人においてその出所を明かにしないからとの理由で、これを一応不正なものと断定して勝手に取上げたことは行き過ぎた措置であり、又被告人より依頼されて被告人名義の退社願書を書き与えた際被告人において書き得る氏名を、被告人に自ら書かせなかつたことは、樋口明の手落であり、これがために後日紛争を招くことになつたものと推測される」旨判示している。(1) しかし乍ら右樋口の行為は右認定事実の如き軽度のものとは全く異り、同人が被告人に加えた身体検査なるものは自己が営業主任なる監督的地位を利用し肉体的、精神的威迫を加えた行為で、同人の所為は刑法第二〇八条の暴行罪、同法二二〇条第一項の不法監禁罪、同法第二二二条の脅迫罪、同法第二二三条の強要罪に各該当する犯罪行為に各該当することは証人樋口明、清野武雄、門馬一夫、安藤敏雄の各証言の各一部及び被告人の当公廷における供述、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、弁護人提出の被告人の手記並に証人標葉縁、小野多利吉の各証言の総合することにより明かである。証人樋口明と誰も右不法の身体検査をなしたことは原審公廷において自認し、ただその方法において苛酷なものに非ず任意の脱衣などと弁疏し、その部下たる証人清野武雄、門馬一夫、安藤敏雄と符合の供述をなしいるに過ぎず、その措信できざる詳細の事情等は当弁護人の原審弁論要旨記載の通りである。(弁論要旨第二身体検査の件(三枚目表十一行以下御参照)。(2) 又退職願書の件は、右認定の如きものに非ず明かに樋口明の偽造作成にかかるもので、同人は自己において勝手に作成しその筆蹟は胡麻化し得ざることを観念し、部下職員と相謀り、被告人の依頼を受けて代書したものと弁疏し、部下職員を参考人として陳述せしめ不公正極る検察官を通じこれを法廷の証人として出頭せしめて自己の非を庇つている者である。右退職願書が偽造されたること疑いなき証拠は、証第六号証の存在、弁護人提出の被告人の手記並びに被告人の司法警察官及び検察官に対する各供述調書、原審公廷の供述を虚心たん懐に検討すときは自ら明白となるところであり、この点の詳細については当弁護人の原審における弁論要旨第二、退職願書の偽造行使について。(要旨七枚目裏二行以下御参照)の記載の通りである。(3) 被告人の行為が「専ら公益を図るに出でたるもの」なることは明かで同人の原審公廷の供述、証人和田敬久の証言を綜合すれば明快である。この点に関しての詳論はこれ亦当弁護人の原審における弁論要旨第二、の三(十二枚目表一行目以下)記載の通り優に立証されている。(4) 原判決は、弁護人の主張を排斥する理由として、原審において「右事実関係について供述した証人は反対の立場にある樋口及び同人の支配下にあるが、宣誓の上且つ弁護人の反対尋問を受けており、被告人の供述以外にはその主張を裏づける証拠なく又証人の供述の証明力を争うための証拠さえ見当らない」旨判示しているが右は証拠の証明力に関する法令及び条理を誤解しているものといわなければならない。証拠の価値なるものは刑訴第三一八条所定の如く裁判官の自由なる判断に委ねられており、たとい被告人のみの唯一の供述であつても真実に副い措信し得るときは他の一切の証拠を排斥し事案の真相を把握し、被告人の基本的人権を守るに躊躇すべきでないことが裁判官の使命である。弁護人の主張するところは樋口、及びその支配下にあつた証人は、自己の首切、失業の恐怖ないし、義理人情その他の事由により到底真実を語り得ない人々であるのみならず(この点本件記録上に現れた睦会のスパイ活動等参照)一旦退職した者と雖も有力なる福島電鉄を背景とする圧迫に屈し、又は既に司法警察員及び検察官の面前で供述せしめられている為、偽証の疑いを受くるの危難を避くるため安易な供述をなしていることは常識上当然理解し得ることを指摘したものである果せるかな証人高玉光男の供述によれば「樋口主任と小川君との事件について、樋口主任を営業所の従業員達がかばおうと言つて居るのをきいた」旨述べ、又「中村営業所の従業員は樋口主任に頭が上らず憎まれると勤めておれない」旨供述し、証人標葉縁は「安藤敏雄は水沢慶子から、樋口主任が小川君の退社願を小川君から頼まれて書いたのを見たことがないのに見たと言えと樋口主任から頼まれたが、どうしようと相談を受けた」と供述し証人安藤敏雄は弁護人の問に対し「私は水沢慶子が言うたこと判然聞いて居りませんでしたが、同人が困つたものだがどうしたら良いだらうと私に云つたので私は水沢慶子が樋口主任に、同主任が小川君の退社願を代書したのを見て居らないのに見たように頼まれて困つているのだと思つたのであります。」と述べ、「そのことを標葉縁に話した」旨を供述し、本件に関しては最初より樋口明が部下従業員を利用し、自己の弁疏に副うよう供述等を一致せしめていたことを知るに足るものである。右証人安藤は証言当時退職したるも福島電鉄より退職金の支給されず証言によりその影響を恐れていたことは証人小野多利吉の供述の通りで、身体検査立会人であり乍ら、真実を全部語り得なかつたことは推知するに十分である。右水沢慶子は原審証人に非ざるも検察官提出の同人に対する昭和三十年十一月十日付検察官調書の記載を点検すれば同人は樋口明と同調し、右退職願書の作成を被告人が依頼しこれに被告人が押印した事実を目撃したと供述している。この事実に鑑みるときは、原審証人田中利子、佐藤喜久雄、佐藤テル等の供述中樋口明の弁疏に副う部分はいずれも同人の指示等により供述した疑い濃厚であるといわなければならない。然るに原判決がかかる偽工作を看破し得ずしてたやすく「前記証人等の供述の証明力を争うための証拠さえ見当らない」と判示したことはまことに遺憾千万で、全く証拠の採用を誤り、為に事実を誤認したもので当然破棄さるべきものである。

第四点検察当局の不公正について。

弁護人は本件につき検察官の捜査及び起訴につき不公正極る措置が行はれ、この為め悪質な加害者は免れ、名誉毀損の実行行為者(仮に名誉毀損罪成立するとすれば)に対しては何等の捜査取調べすらなさず放置され、人権擁護の救済を申告した為、これを探知した新聞記者の質問に応答したに過ぎない被告人が起訴された不合理につき、第一回公判において、その検察官の責任を追究し、更に弁論においても特にこの点を強調した次第である。(原審弁論要旨第三(十八枚目表二行目以下御参照)。)弁護人が如何なる目的を以てこれを問責したか更に茲に重ねてこの点を論じようとするのは一検察官の恣意により法治国家たるわが国民が検察事務につき不信を抱き検察官は常に弱者を苦しめ、強大な資本や言論機関に対しては平身低頭し、到底信頼すべからざるものとの悪感情を抱かしめることの危惧を恐るは勿論であるが、不公正な検察事務遂行により真実が歪曲され、この為裁判を誤り、わが国民が少くとも現在信頼せる裁判に対する信頼性の根本的破壊のおそれある危険を感じ到底これを黙視し得ないからである。原審判決が公訴事実第一記載の読売新聞の記事に関し、無罪の判決を宣告せられたる点については敬意を表するところであるが、竿頭一尺を進め本公訴事実につき無罪の宣告あるべきところ、これに反したことはまことに惜しくも畫竜点晴を欠いた憾みあるもので残念に堪えない次第である。

本件については樋口明は、昭和三十年八月三日被告人を被告訴人として相馬警察署え読売新聞の記事(本件公訴事実第一記載の事実で無罪となつたもの)につき名誉毀損として告訴したもので、公正なるべき検察官ならば刑訴法上の告訴不可分の原則に基き右記事を編輯発行したる読売新聞社につき捜査すべきにかかわらずこれは一切放置し、右樋口の主張を裏付ける参考人等のみ取調べ被告人の弁解には一切の耳を傾けず剰え同年十一月十五日右樋口よりそれ迄告訴なかりし本件公訴事実第二の事実(本件有罪に係る河北新報の記事)につき被告人えの告訴方を勧告し、樋口をしてわざわざ告訴せしめた上翌十六日被告人を取調べ調書作成後一旦帰宅せしめ、被告人において逃亡、証拠隠滅等のおそれなく、何等これを逮捕勾留する合理的理由なきに拘らず、翌十七日これを逮捕し、勾留請求の上、何等犯罪事実に対する取調べをなさず放任し、その後十九日に至り釈放したもので、右取調べに対しても終始威庄的態度を以て臨み乍ら、右自ら告訴を勧告した犯罪の実行行為者である本件河北新報社の編輯、発行の責任者等については、何等の捜査をなさず、これ亦右樋口明の主張に副う参考人等の取調べのみに精力を集中努力し、証拠固めをし、一方被告人が同年七月三十日樋口明に対し退職願書を偽造行使したる告訴については被告人の主張を裏書する証拠の申出は一蹴の上取調べをなさずこれを不起訴処分に付して顧みなかつたものである。(右事実は本件記録証拠書類、証人樋口明及び被告人の原審公廷供述で明かである)しかうして右告訴不可分の原則による捜査怠慢について第一回公判において当弁護人より追究さるるや検察官は、自己は厳正公平に捜査し職務怠慢なしと放言しいるも今日迄新聞社関係の捜査は着手せず顧みて他を言い居る者で該検察官は、その捜査に当り偏見と予断を以て当初より被告人を犯罪人視し、職権を濫用し、被告人を逮捕勾留に付し、福島県下に重要なる経済上社会上の地位を占め牢固たる勢力を有する福島電鉄をバツクとして強力なる攻勢的態度に出でつつある樋口明の要求を容れ(当時本件は連日の如く福島県下に配付さるる各新聞紙の紙面に連日の如く掲載され県民の耳目を聳動していたこと顕著であつた)これに阿諛追従し一方、有力紙である読売新聞、河北新報各社に対しては、これを捜査することによる自己の保身的影響をおそれたか、或いは被疑者が有力な言論機関たるに恐怖したかいずれにせよ何等手を施すことなく屈服し、その職務遂行を怠慢し何等の捜査も試みないでおき乍ら、一失業労働者であり被害者に過ぎない赤ン坊の如き被告人に対し強圧を加え遂にこれを起訴するが如き真に検察官としての能力資格を疑うに足る不祥事件である。当弁護人においては、右検察官の不当違法の職務行為の責任に対しては既に別箇の方法により糺明中であるが、近来稀れにみる不祥事件で遺憾極りなきものと慨歎これを久しうしている。要するに本件は全く見当違いの起訴であつて検察官の職務の濫用による違法な処置に基因する事件であることを銘記されたく切望する次第である。尚右点については当弁護人提出の原審弁論要旨第三記載(十八枚表二行以下)を参照されたい。おもうに本件においては被告人の所為は当然罪とならざるものであり、仮に右記事につき責任ありとするも前述の如く、被害者と称する樋口明には刑法上の犯罪行為ありたること明白であつて、その証拠十分なるにより本件犯罪は成立せざるものとして原判決破棄の上無罪の判決あることを冀うものである。

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